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現地で目撃したバーレーンGP。開催が正義か、反対が正義か?


2012-4-23 19:00

 土曜日の夕刻、陽が落ちたバーレーン・インターナショナル・サーキットのパドックでは、主催者によるウェルカムパーティが開かれていた。バーベキューの炎が飛び、クラブミュージックにアルコール。チーム関係者や報道関係者、サーキットスタッフが思い思いの料理や飲み物を手に取り、歓談する。

 ヨーロッパや日本では、民主化運動のデモ隊と警官隊の衝突の模様が映し出され、市内が警戒状態にあると報じられている。しかしパドックの中にいる限り、そんなことは別世界の話のようにすら感じられる。セッション初日の金曜の夜には、盛大な花火も打ち上げられていた。主要幹線道路や空港など、国内の各所にはバーレーンGPの看板やフラッグが掲げられ、F1ムードを派手に演出している。反対派がいて死傷者が出るほど激しい衝突があるなどとは、とても感じられない。

 首都マナーマ市内から20kmほど離れたサーキットまで、関係者の多くはレンタカーかシャトルバスで移動している。その道中やホテル、サーキットの周辺で、報道されているような物々しい警備やデモ隊の姿を見ることはなかった。せいぜい、高速道路の各所にパトカーが赤青色灯を光らせている程度だ。

 しかし実際には国内に5箇所ほど、デモが頻発している危険な地域があるといい、マナーマの旧市街にも封鎖されている場所があり、昨年の反政府活動の中心地となった真珠広場はすでに取り壊されて封鎖されている。

 そして水曜日の夜にはサーキットからホテルへ戻るフォースインディアのスタッフが乗ったクルマが火炎瓶騒動に巻き込まれ、ザウバーのスタッフも覆面をした集団に取り囲まれそうになるという事件が発生した。いずれもF1関係者を狙ったものではなかったが、フォースインディアとケータハムはスタッフの身の安全を優先して日没までにサーキットを後にするという特別体勢をとることにした。そのためフォースインディアは金曜午後の走行を取りやめて、早い時間からマシンの整備・撤収作業に入ったほどだ。レース週末が進むにつれて、我々メディア関係者が帰る遅い時間にも、高速道路上で何かが燃やされてる光景が見られるようになった。間違いなく、意見の対立する者同士の諍いがそこにはあり、衝突もあった。報道されていることが全てではなく、バーレーン国中で起きているのではないにせよだ。

 セッションはスタンドにほとんど観客のいない状態のままで始まった。警備スタッフの姿の方が目立つほどだ。それでもスケジュールは粛々と進められ、これといった反対派の妨害活動に遭うこともなくレースは行なわれた。

 世界各地で報じられているバーレーン情勢というものが、一部だけを切り取った極端なものであることは事実だろう。世界の人々が3.11後の日本が全滅したかのような印象を持ったり、タイの洪水でバンコク全体が水浸しになったと思っている人が未だにいるように、報道はしかしデモが行なわれている中でも、淡々と日常生活を送っている国民もいる。マナーマの街中にも、以前のバーレーンと変わらないのどかな風景が広がっている。

 バーレーンGPの主催者であるバーレーン政府は、レースを開催することで反対勢力を押し込め、国内情勢の安定を世界にアピールするつもりだったようだ。しかし実際には、レースそのものではなく反対デモや国内情勢ばかりが報じられることとなり、逆効果だったという見方が広がっている。

 ヨーロッパでは、このような状況下で開催を決行したことで、バーレーン政府だけでなくF1にもイメージを損なう恐れがあるのではないかという見方も出ている。

 F1としてみれば主催者に呼ばれ、安全を保証された上での開催であるため、その判断に従ってレースに参加するだけ、というスタンスをとっている。ドライバーたちは今回の開催の可否について個人的な意見を問われても公式の場では口をつぐみ、コメントを拒否している。

 F1チームで構成するFOTA(F1チーム協会)の代表も務めるマクラーレンのマーティン・ウィトマーシュ代表は、次のように述べた。

「我々は参加者であり、FIA(国際自動車連盟)の決定に従うしかない。我々にコントロールできるのは、良いレースをし好結果を手に入れるために全力を尽くすということだけだ」

 確かに、チームやドライバーにとっては、サーキットの中で最高の結果を手に入れるために努力をする。いつものレース週末と何ら違いはない。その上で、観衆に喜ばれるショーとなることを祈るのみだ。彼らにとっては、それが正義であり、全てなのだ。

 立場が変われば、正義のあり方も異なる。

 宗派の違いと生活格差という歴史的・文化的な背景を全て理解することができない部外者の我々には、どちらが正しいかを判断することなどできない。部外者の価値観を押しつけるべきでもない。

 今回のバーレーンGP開催に関して、反政府派の意見ばかりに耳を傾け政府やF1を批判することは、報道のあり方としては正しいとは言えない。たとえ真の中立報道が困難であったとしても、対立する意見が存在するなら、両者の意見を報じるべきだ。仮に批判されるべきだとすれば、それはF1そのもののあり方ではなく、F1を招致し開催を決行した主催者ということになるだろう。F1を批判することは、スポーツと政治をないまぜにすることに等しい。

 ただひとつ言えることは、平和でなければできないF1のようなスポーツを、この国の人々全員が純粋に楽しめる未来が来ることを祈るばかりだ、ということだけだ。


(text and photo by Mineoki YONEYA)

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