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【F1LIFE新書】2012年シンガポールGP 小林可夢偉『終わらない熱帯夜』


2012-9-27 18:18


 鈴鹿に全てを。

 救いようのないほどの不振、
 それは鈴鹿に向けての伏線。


 カメラに向かった可夢偉の顔が、オレンジ色の夕陽に染まっていた。
 ナイトレースのシンガポールGPは、いつもよりも6時間遅れのスケジュールで行なわれる。走行セッション以外のあらゆる分刻みのスケジュールが、6時間遅れのヨーロッパ時間のままスケジュール表に記されている。
「シンガポールはまずポイントを獲って、鈴鹿に向けて良い流れで行けるようにっていうのを理想としてるんですけど。アップデートとまではいかないけど新パーツも入るんで、それが上手く機能すれば戦える位置にいると思ってるんで、今年は自信を持ってアプローチしたいなと思ってます」
 ザウバーのマシンがこのシンガポールの市街地サーキットに合っていないことは分かっている。しかし、持ち込まれたアップデートがもたらすダウンフォース量があれば、ポイント争いくらいはできるかもしれない。
 可夢偉はそんなささやかな期待を持ってシンガポールにやって来た。
 この街は嫌いではない。いやむしろ、派手好きの可夢偉にとっては大好きなロケーションだ。
 しかし、走ることが本分のドライバーたちにとって、その喧噪を楽しむ余裕はない。
 朝方に眠りにつき、昼過ぎに起きてパドックに向かう。夕陽が照らす頃に、1日がスタートする。
「来る途中でモールの中で吉野家を食べていこうと思ってたんですよ。そしたらまさかのペーターとモニシャに会って、一緒に歩いて行くハメになって、食べに行けなくて(笑)。あそこのモールは良いですよね、いろんな誘惑があって。でも『ここで食べていくわ』って言うたら怒られそうやから(笑)。サーキットに着いたら何かあるやろと思ってたのに、何もないし。お腹空いてたまんないですよ、気ぃ失いそうやわ(笑)。キツいでしょ?」
 高級ホテルが建ち並ぶマリーナベイから、ショッピングモールを通ってパドックへ。
 そんな誘惑に目を向けられるのも、木曜日までだ。金曜になって走行セッションが始まれば、可夢偉に許されるのは白飯と野菜中心のヘルシーな食事のみ。
 日本の有名なチェーン店もたくさんあると聞かされても、可夢偉にとっては後の祭りだ。
「豚カツかぁ、そんなん行ったって食われへんし。僕、キャベツばっかり食べてんとあかんわ(苦笑)。夜はもうお店閉まってるから、食われへんし。せっかくメシが美味しいところに来てんのに。シンガポールはえぇ街なんやけどね……」
 そうはいっても、可夢偉の頭の中はすでに鈴鹿に向けた思いが渦巻いている。このシンガポールの週末も、鈴鹿のために使いたい。つい、口をついてその思いが出る。
「鈴鹿に向けて良い状態で自信を持っていけるようにしたい。良い流れを持っていきたいし、流れをここで作りたいですね」
 ここまで、不運が多すぎた。そのことは、誰よりも可夢偉自身が痛いほど分かっている。
 それを鈴鹿で克服するためには、何が必要なのか? このシンガポールで、最後に何を乗り越えておくべきなのか?
 自問自答しても、その答えが存在しないことは分かっている。運は努力で手に入るものではない。
「僕が速いとこいくと、なんかできないんですよね、完璧な週末っていうのが。あれ以上どうしろっていうんですか? だから、なんも考えてないっす。思いっきりやったろうと思って。シンガポールで『思いっきりやったろ!』思て。んで、鈴鹿でも『思いっきりやったろ!』思て(笑)。いいんですよ、それで。
 もちろん、ちゃんと正確にやらないといけないけど、何を狙ったら8位になるとか9位になるとか、わかんないですもん。こないだだって、アイツ(セルジオ・ペレス)『モンツァはあかんなぁ』って言うてたのが突然2位に行くんですよ。何を想像したらいいのか分かんないですよ、世の中。だから、『思いっきりいったろ!』思って」
 冗談めかして言ったが、それが可夢偉の偽らざる本心だった。
 努力はして当然。その上で運に恵まれるか否かは、自分の力でどうすることもできるものではない。
 ならば、自身は全力を尽くすのみ。
 可夢偉はそう思っていた。

こちらに続く)


【F1LIFE新書】2012年シンガポールGP 小林可夢偉『終わらない熱帯夜』

著者:米家峰起
発行日:2012年9月27日
ページ数:25
データ形式:PDF(PC、iPad/iPhone、Android対応)
データサイズ:6.5MB
ダウンロード価格:210円(税込)
(販売期間:2012年10月8日まで)

購入はこちら『F1LIFE』ストアにて。
https://www.f1-life.net/store/f1lb-0026.html

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