これは夢じゃない、運命だ。
数々の不運に見舞われながら、
母国GPでついに手にした表彰台。 陽はすでに大きく西に傾き、鈴鹿山脈の陰に沈み行こうとしている。
午後5時からのドライバーズブリーフィングが終わり、ピットビルディング2階の部屋から一番最後に出て来た小林可夢偉は、一人ホスピタリティブース裏の個室に戻ると、そっと目を閉じた。
考えても考えても、打開策は見えてこない。
この鈴鹿でならトップ3が狙えると見ていた可夢偉にとって、6位・13位という金曜フリー走行の結果は大きな誤算だった。
頭が痛く、食欲もなくなってしまった。
結局、夜のテクニカルミーティングまで身体を休め、僅かな食事だけでパドックを後にしてしまったほどだった。
「サラダくらいしか食えなかったんですよ。あまりにもクルマが遅いんで、気持ち悪くなって。いっぱい考えすぎて、頭が痛なって、『もう寝る』って言うて。最後のミーティングの5分前にパッと起きて、サラダをちょっとつまんでそのままミーティングに行って、そのまま(ホテルに)帰りましたから」
翌朝ガレージの重量計で量ってみると、可夢偉の体重は1.5kgも減っていた。
今年の可夢偉は、この鈴鹿に大きな期待を持ってやってきた。
いや、可夢偉は”期待”という言葉を嫌う。そこには、何か他力にすがり幸運に身を任せるような響きがある。
だが可夢偉は現実しか見ていない。精神論で、理論的に立証された自分たちの全力を越えることはできない。その見据えた現実が、トップ3という目標だったのだ。
「3回目の鈴鹿で、今年は今までで一番完璧に近い状態で臨めています。僕自身、かなり行けるんちゃあうかなっていう感触も大きいです」
レース週末を前に、可夢偉はそう語った。シンガポールでは、「もしかしたら勝てるくらいのクルマかもしれない」とまで言った。
今季最大のチャンス。究極の空力性能を要求する鈴鹿のコース特性を考えれば、それは間違いないはずだった。
だが金曜のデータは、それとは似ても似つかない結果を指し示していた。
「スパの時のような”絶好調”ではないです。Q3に行けるかどうか、いっぱいいっぱいやろなっていうくらいヤバい」
予選トップ3を狙っていたはずの可夢偉にとって、それは失望以外の何ものでもなかった。
それはつまり、是が非でも欲しかった表彰台という結果が限りなく遠のくことをも意味していたのだから。
今季ここまで、どれだけそのチャンスを逃してきたのだろう。
3番グリッドを得た中国GP、フロントロウが狙えたはずの予選Q3でハイドロ系トラブルに見舞われたスペインGP、同じく好結果が期待されたはずの予選で雨に翻弄されたイギリスGP、5グリッド降格ペナルティを科せられながらも4位入賞を果たしたドイツGP、そして2番グリッドから失意の1コーナーへと繋がったベルギーGP。
チームメイトが3度もの表彰台を手にする一方で、可夢偉の身には不運ばかりがのしかかり続けた。
「大丈夫、いつかは僕にもチャンスが来るから」
そう言い続けて、シーズンはもう終盤戦を迎えてしまった。
この鈴鹿には、新たなフロントウイングが持ち込まれていた。そしてシンガポールで試験的に投入された新型のリアウイングと排気管システム。それは、ザウバーにとって今季最後のアップデートだった。残りの5戦にはもう、新パーツ投入の予定はない。
つまりは、これが最後のチャンスになるかもしれない。
最後にして最大のチャンスだと思っていた。
だが、そのチャンスはほとんどないかもしれない。金曜夜の可夢偉は、やるせない思いで押しつぶされそうだった。
(
こちらに続く)
【F1LIFE新書】2012年日本GP 小林可夢偉『ついに訪れた、栄光の瞬間。』著者:米家峰起
発行日:2012年10月8日
ページ数:29
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